[見沢知廉ファンサイト]
[トップページへ] [見沢知廉の略歴] [見沢知廉の著書・作品] [見沢知廉の名文] [ファンサイト掲示板] [お気軽に寄稿を]
[見沢知廉の名文]

勝手に選んだ名文集です。「他にもこんな名文・名言があるよ」という方はメールで教えてください。
■目次
「性のエロスから政治のエロスに」
「平和なときは狂人だが、乱世では天才、英雄となる」
「文学は背徳だ。一切が許される。」
「日本人をあくまで世界、世界へと向かわせているのです」
「今というものが過去の積み重ねの上に築かれている」
「今この眼の前に無限大に広がる、この、闇の情念のようなウヨク」
「言われなくても必然的に湧き出してくるものなのだ」
「いいか、歴史ってのはな、”進歩”なんて全然してないんだよ」
「快楽ですね。世界革命はセックスより快楽でしょうね」
「ねえ、殺人ってあんなにあっけないものなの?」


「性のエロスから政治のエロスに」

 人間が最も美しいと感じるもの、最も汚いものと感じるもの、それ を突き詰めれば、結局は人間に帰る、といつか田村は言った。それ以 外に美醜を嗅ぎ取ったなら、それは無意識のうちに人間と比較してい るだけだ、と。その言葉は実証的にその時私の想像力のカプセルの中 で、汚い塵や排泄物や死体や粘液、綺麗な筋肉や瞳や睫、などのデコ レーションに飾られた体躯のイメージに変換された。−−−−シーメ ールは、美しいのだろうか?よけい甘く感じさせるために少量の塩を 巧みに入れる和菓子と同じく、シーメールはギリシャ神話のパーンの ように、最も醜い一点を狡猾に混入することで、和菓子的な至高の淫 猥の甘美を勝ち取っているに違いない。  当然、男達の脈拍と昂奮は、エロスの核融合に被曝して昂まり満ち た。自律神経に、大政治パッション映像並みの強烈な機銃掃射を叩き 込まれて、泥酔した。
 精神の腕立てふせで脳細胞ををすっかりシェイプアップさせてしま った坂本が、ぱん、とプリンタで打った世界地図をデスクの上に震え るように叩きつけて、吠えた。「世界維新新政府の首都は、神国日本 だ!」
 何の障害もなく、性のエロスから政治のエロスに、細胞移植してし まう可愛い男達。シーメールへの昂奮をそのまま政治に引き摺って、 世界維新政府の世界政策をシャウト始める。いつもこの伽話的な誇大 妄想的な会議が大き過ぎた面白く、甘く見詰めたり軽薄な質問をして しまう私も、今日はちょっとシーメールの衝撃波で、その精神と子宮 が一緒に仲良く心中して呆然とパンチドランカーになって、躰がぺた っと坐って絨毯と解ける蕩け合ってしまっていた。

「改造」-『七号病室』所収-(作品社)より

見沢氏のエネルギー

 『改造』では、見沢氏には珍しく性的描写がある。ただ、一般的な 男女の性を描いただけではなく、シーメールの関することと、政治の エロス性を描いている。情熱、パッションが必要であるという点で、 恋愛も政治も共通点がある。見沢氏は、おそらく恋愛よりも政治をや っているときの方が情熱をかきたてられたのであろう。二・二六事件 の磯部浅一が、革命は楽しい、もう一度革命をやってみたいといった 旨の発言をしているところ、見沢氏も同様に政治に情熱を燃やし、エ ロス性を感じていたに違いない。そのエネルギーを源として、作家と して文学活動をしていたのであろう。

この文章はたけしさんの寄稿です。ありがとうございます。(朱斑羽)


「平和なときは狂人だが、乱世では天才、英雄となる」

 問題は天才にも、レーニンやヒトラーや大久保利通やキリストみたいに花開くのと、登場が早すぎて 行動しちゃって、ネチャ−エフ、そう、「あのドストエフスキーの『悪霊』のモデルになった獄中死したロシアの、 まあ、僕みたいな粛清殺人の革命家ですが、そういう吉田松陰、平野國臣、ブランキ、ミハイロフ、ヨハネ、みたいな 牢獄の中で、花開かないで悶々と気違い扱いされて消える捨石の先駆者、殉教者もいますからね。どちらかわかりませんが、 どっちかの天才でしょう。
(中略)
 「ロンブローゾも芥川もドゥルーズもガタリもフーコーも、連中は一つの真理をつかまえたんだ。つまり、生物学 的に人類は、一定の割合で病人が生まれる。彼は自然に時代、エピステ−メーを超越する。だから平和なときは狂人 だが、乱世では天才、英雄となる。つまり、人類の白血球なんですよ。」
『七号病室』(作品社)より

 見沢氏の場合は、登場するのが早すぎて行動して自殺という最後に至った天才であると思う。現在の日本は不況や 構造改革などで乱世であるといえる。したがって、見沢氏のような天才が活躍すべき時代であったといえる。それだ けに残念である。花開かないで消える捨石の先駆者に見沢氏は近いと思われるが、彼が残した作品は文学として価値 のあるものであるし、読者が革命について考えざるを得ない内容なので、捨石というよりも小説という遺産を残した 革命家であったと思う。

この文章はたけしさんの寄稿です。ありがとうございます。(朱斑羽)


「文学は背徳だ。一切が許される。」

 「お前はブンガク者として、どう思う?嶋中事件や『パルチザン伝説』事件を」
 近藤が紫煙を吐きつつ車のソファーにもたれ、田村に言った。 「毛沢東は一人の作家は革命の一個軍団にも相当するって言っている。ダヌンツィオがいなきゃムッソリーニも勝てなかった。チェルヌイシェフスキーやゴーリキーがいなき ゃロシア革命もなかった。中国では魯迅。フランス革命もヴォルテールやモンテスキュー哲学よりもルソーの文学が 民衆に決定的影響を与えた。文学は歴史を変える力を持っているからな。政治とは関係ある。だから林房雄さんも三 島さんも新右翼の先輩にカンパしたろ。でも文学は背徳だ。一切が許される。だから河出の桐山襲の『パルチザン 伝説』や大江健三郎の『政治少年死す』の射精や、深沢七郎の『風流夢譚』も、別に文学としては面白い」
 「ひでえ理屈だな。いや、天皇批判はいいよ。だけど、皇室ポルノは別だぜ。名誉の問題というより、肉親でもやら れりゃムカつくだろ」
 「面子の問題だろうな」

『天皇ごっこ』第二章(新潮文庫)より

文学者と革命について〜文学は背徳だ

 見沢氏は、毛沢東の言うような革命の一個軍団にも相当する文学作品を書きたかったのだろう。見沢氏にとって文 学と政治を分離することは不可能である。作家であり、革命家でありつづけていたかったであろう見沢氏は、暴力革 命は捨て、文字による文学革命で、からっぽで平和ぼけしている国民を覚醒させたかったに違いない。見沢氏が尊敬 していた三島氏は、エンターテイメントな作品や舞台を創造していったが、見沢氏は、あくまで文学、特に政治的文 学で勝負していた。「文字」を書いてで革命をし続けていたと考える。それと同時に、「文字」を書いて自分を癒し ていたとも考える。作家としての革命という攻撃性と、文学・天皇への情念という癒しをなんとか両立させ、不安定 な天秤にかけて今まで活動していたのではないか。そのバランスを失って、亡くなってしまったのかもしれない。改 めて、非常に残念に思うしだいである。
 ちなみに、ペンネームを「見沢」にしたのは、三島由紀夫の本の隣に自分の本を置きたいという期待があったから だ。自分の作品が新潮文庫から出版されることになると、あいうえお順で三島由紀夫の作品の左に見沢氏の作品が並 ぶことになる。現在、それは実現されており、本屋の文庫コーナーには、見沢氏と三島氏の文庫がすぐ隣に並んでいる。 「知廉」の由来は、わからない。知っている人がいれば是非寄稿していただきたい。

この文章はたけしさんの寄稿です。ありがとうございます。(朱斑羽)


「日本人をあくまで世界、世界へと向かわせているのです」

 僕は強者の中の強者でなければならない。ヒトラーやスターリンは、現世的な強者でありメシア種の一種です。 が、天皇はそれに加えて霊的強者でもあるのです。単に政治的権力として君臨するのみではなく、 代々大嘗祭で天照大神の直系子孫の神霊が憑依し霊性の主宰者になるので す。だから、メシア種の一種であり政治的権力を目指した北一輝が天皇を恐れ、その前に屈服したのです。僕も回転 しました。頂点を目指さねばなりません。単なる現世的権力者のみでなく、霊性の指導者にもならねばならないのです。
(中略)
 例え戦後のように政治権力から没落しても、二重橋の奥からこの霊的波動を放射して、日本人をあくまで世界、世界 へと向かわせているのです。
『天皇ごっこ』第四章(新潮文庫)より

 たけしです。精神病者が自らを天皇だと確信して、純粋右翼的視点から、まずなにより天皇の霊性が最重要である との認識を精神病者が語り尽くす。現世的な政治権力よりも、霊性を帯びた真の天皇の姿を熱心に語る。精神病者の 狂いの中に右翼的真実が浮かび上がる描写である。
 この文章を読んで注60を読んだときに、単なる反共愛国の右翼ではなく、天皇を政治的頂点に立たせたり、政治 的に利用しようとする軍国主意者とも異なる立場の右翼が見沢氏であった。大嘗祭こそが必要であり、即位の礼はど うでもいいといったスタンスは、天皇の霊性及び霊性の承継を重視した純粋右翼的立場が推測できる。天皇の政治的 引退とは、政治のような世俗で汚れたものと、神聖であるべき霊の主宰者である天皇との距離を離したほうがよいと いう考え方が真の右翼観の幹となっているようだ。  私は、『天皇ごっこ』と注60で、右翼の天皇観について随分勉強できた。

この文章はたけしさんの寄稿です。ありがとうございます。(朱斑羽)


「今というものが過去の積み重ねの上に築かれている」

 人には、それぞれの「原点」というものがある。母にとっては、店員に変な目で見られ続けながらも 買い続けたそれらの雑誌が原点のひとつなのだ。 そこに立ち返ることによって、母は、とにかく舞い上がり気味な俺に「今」というものが 過去の積み重ねの上に築かれていることをわからせようとしているように見えてならない。
『獄の息子は発狂寸前』(ザ・マサダ」)より

 12年間に渡った見沢知廉の獄中生活は、御母堂の献身的な愛情無しに乗り越えることはできなかった。 執筆活動が事実上禁止されるなかで見沢知廉が作家デビューできたのも、ひとえに御母堂の血の滲む努力の賜物である。 この作品は『母と息子の囚人狂時代』と改題のうえ、新潮文庫に収録されている(但し絶版)。 引用文は、出所後売れっ子作家として活躍する見沢知廉のもとへ、御母堂が刑務所への差し入れと同じように雑誌を差し入れていた ときの描写だ。とても、幸せそうな母子の姿が目に浮かぶ。…(朱斑羽)


「今この眼の前に無限大に広がる、この、闇の情念のようなウヨク」

 ツカサは、四〇〇〇CCのかなりボアアップしたカワサキのマシンをB29爆撃機のように急発進させた。 水冷のDOHCパワーが充分に眼を覚まして唸り出す。フルスロットル。 レッドゾーンの一三〇〇〇回転に針が飛び込む。 エグゾーストの響きが闇をぶん殴る。 自分も、背中に何か重いモノをしょっている、そう感じた。でも、だからステキだ。 黒い、黒い、まっ黒な、今この眼の前に無限大に広がる、この、闇の情念のようなウヨク―が。
『ライト・イズ・ライト』(作品社)より

 見沢知廉の遺作である。獄中から書き継いでいたいた作品で、死の直前に完成したという。 氏の作品の中でも、特に「小説らしい」作品に仕上がっていると思う。 80年代、全共闘のような左翼学生運動も下火となり、「新右翼」が登場した時代の話で、 見沢氏自身の体験ももとになっている。主人公は「ツカサ」という不良少年。 暴走族を辞めて入った「新右翼」で交わされる「維新革命」への情熱を目撃する。(朱斑羽)


「言われなくても必然的に湧き出してくるものなのだ」

 知ったかぶりの道化学者が言うように三島は<美>や<自分の美学>のために死んだのではない。 『天翔けるものは翼を折られ、不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う』絶望的な日本の現状に <維新革命>の石つぶてを投げんと欲し、その決起に続く同志と期待した自衛隊に裏切られ、 後世の革命の<人柱>になるべく腹を切ったのだ。
 その<死の叫び>は芥川や川端、太宰よりは北一輝や山口二矢、朝日平吾の死と極めて近い場所で共鳴し 木霊している。  (中略)
 少年酒鬼薔薇の事件について私が「朝生」に出た際、「少年Aは、腐り滅ぶ社会の必然だ」と説いたら、 小田普教授が「じゃあ君はテロルの時代を欲するのか?」と叫んだ。
 残念ながら、<テロルの時代>は欲して来るものではない。社会の混乱、腐敗、崩壊、明日への絶望― の時代にあっては、言われなくても必然的に湧き出してくるものなのだ。

『SMART』誌 SMART CULTURE COLUMN より

 見沢知廉氏は特に三島由紀夫を敬愛しており、『天皇ごっこ』などの小説のなかなどでも三島の自決を取り上げ、 その死への正しい評価を普及させようとしていた。上記引用文は若者向けのファッション雑誌『SMART』に 掲載されたものである。残念ながら私が持っているのは切り抜きなのでいつ発行された号のものかは不明だ。
 このコラムは5ページに渡って組まれ、山口二矢事件・五一五事件・二二六事件を大きな写真で紹介している。 ファッション雑誌としては思い切った編集であった。
 このコラムがどのような経緯で掲載されたのかも不明であるが、テロル専門家としての見沢氏の 知識が凝縮し、現代の若者に重大な警告を与えるものとなっている。
 また『極悪シリーズ』の中で、 靖国神社というのは実は<ファッショ>や<軍国主義>どころか<革命家の魂を大々的に一国家が祀る> という、レーニン廟や北朝鮮の<革命烈士陵>よりラディカルで革命的な<革命聖地>なのであり、 私の夢はいつかここに二・二六事件で処刑された志士、北一輝や西田税、磯部浅一、―あるいは他、 中野正副、来島恒喜、影山正治、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝・・・・などの諸霊、荒霊を祀ることだ と述べている。 (朱斑羽)


「いいか、歴史ってのはな、”進歩”なんて全然してないんだよ」

 いいか、歴史ってのはな、”進歩”なんて全然してないんだよ。息の詰まる統制と規律、権力強圧の時代と、 自由で、いや自由になりすぎて性が一番の人気商品になり少女まで体を売って性病が流行し、ドラッグやアルコール、 暴力や猟奇犯罪、残酷愛好のアナーキーな時代――の二つを永遠に繰り返しているんだ。
『極悪シリーズ』(雷韻出版)より

 『極悪シリーズ』は『BURST』誌に連載されたコラムの単行本である。 くだけた調子ではあるが濃密な内容で、見沢氏特有の単語を畳み掛ける調子の文章が氾濫している。 氏の、他の多くのコラムにも共通しているが、見沢氏は現代日本が再び「統制と強圧」の社会に向かっていると考え、 「盗聴法」や「合法ドラック規制」「ポルノ規制」「少年犯罪厳罰化」がその前兆であるとして繰り返し警告、批判している。 (朱斑羽)


「快楽ですね。世界革命はセックスより快楽でしょうね」

 「鉄は国家なり、の時代は終わりました。もはやハイテクが国家であり軍事です。日本はその最先端にいます。これで再軍備すればたちまち米中に急迫する。 しかしそれだけじゃ足りない。日本の権力を奪取したら、国家や議会、政治屋など非効率で無駄なものを一掃する。 教育機関を一変させ、ゼロ歳から英才教育を義務教育化する。大学の九十五パーセントは理工系にする。 全国を筑波都市化する。税制でハイテク産業を徹底的に伸ばす。それと国家が宇宙、軍事、化学の大プロジェクトをくむ。 非ハイテク産業は関税等で淘汰する。民族の徹底合理化だ。非機能的な一切の機構を排除する。 コンピュートピアを実現してしまう。バイオ、核、オプト、LSI、宇宙の最先端研究の頭脳を世界から集中する。 いや、胎児から義務教育化して青少年の九十パーセントを科学者にし、残りをグリーンベレー的な特殊部隊や モサド以上の諜報機関員にする。陸軍なんかほとんどいらない。世界一の宇宙軍とNBC軍を建設する。 二十年で他国と日本人のIQ差を四十から五十にまで高めあげる。チンパンジーと人間並みの差をつける。 そして、人間量をもつ第三世界の非白人カラードと軍事同盟し、米露の核をSDIや電子戦や粒子放射で無力化し、 BC兵器に万能のワクチンを開発し、すべてのICBM、SLBM、戦略爆撃機への抑止力をそなえ、白人の大量虐殺兵器を無力化し、 そこに第三世界同盟の大量兵士が白兵戦で怒涛のごとく流れ込むんです。どうです?勝てるでしょ? 不可能じゃないんです。日本ならやれるんですよ。世界統一に、今の日本が一番近くにいるんだ」
(中略)
 「君はこういう話になると実に生き生きとするね」と僕は立ちあがった。カルテを束ねてトントンと机の上で揃える。
 「快楽ですね。世界革命はセックスより快楽でしょうね」

『天皇ごっこ』第四章(新潮文庫)より

 『天皇ごっこ』こそが見沢知廉の最高傑作である。見沢知廉はこの作品を書くために生まれてきたのではないか、 とさえ、不遜ながらも私は考える。
 この作品は獄中で書かれ、出獄直前に「新日本文学賞」佳作を受賞している。獄中で小説を書くことは原則禁止されており、 見沢氏は書簡の形に偽装して作品を発表した。そのため受賞時は完成作品ではなく、のちの文庫化の際に大量に加筆され、 新しい作品として生まれ変わった。
 とくに、出獄後に北朝鮮に渡った際の体験をもとにした第五章は圧巻だ。
 引用文はとくに私の好きな文章で、実は精神科医と囚人の会話である。囚人のモデルは明らかに見沢氏本人であるが、 実際にこのような会話があったかはわからない(もとより小説なのだから良いが)。 現実の見沢氏も近い内容の「革命論文」を書いていた。(朱斑羽)


「ねえ、殺人ってあんなにあっけないものなの?」

 「自殺、死って、感動的だよね――」近藤が、若干、苦笑に歪む口元で言う。 「それに比べて、ねえ、殺人ってあんなにあっけないものなの? あなたが獄中で書いたデビュー作の中の一章が、右翼のテロリストの物語だったでしょ。 あの時、文学関係者からもの凄く批判されたじゃない。 <テロ、殺人という重大なことを実行するまでの、複雑な心理描写が書かれていない。 ラスコーフリニコフの心理描写でもよく読み直して勉強したほうがいい>ってね。 でも・・・・・・今、ふと思ったんだけど・・・・・・ええとね、もしかすると、逆かなって。 強盗や放火や強姦、盗み、スリ、結婚詐欺、狂信カルト、薬物・・・・・・とか、 どの時代でも、大体はヤバいというか、禁止されて<罪>とされる行動は多いけど・・・・・・ 確かにこの<殺人>ってやつだけは、最大重罰と、最高叙勲行為、その両端の間を、 せわしなく昇り降りしてるもんな・・・・・・」
『蒼白の馬上』(青林堂)より

 見沢氏自身がかつて公式サイトに「遺言気分のヤケクソでポストをさらにポストモダンして書いた」と明かした、 衝撃の問題作である。見沢氏が刑務所で12年間過ごす原因になった「スパイ粛清事件」をモデルにして、 殺人者の心理を率直に表現しており、文字通り、命を磨り減らして書いた労作であろう。
 その最終章にこのような一節があった。
 ピン、ポン――玄関のベルが鳴った。
――今度は誰だろう?死神だけはちょっと待ってくれ。まだ若干やらねばならないことがある。・・・・・・・

 見沢さん、やり残したことは、本当にないのですか?・・・・・・(朱斑羽)


■著作物からの引用は、必要最小限度(法律の認める範囲内)に留めています。
■管理人・朱斑羽が執筆した文については転載自由です。
■プリントアウトに適した幅になっています。

[管理・運営 福岡情報研究所]