[見沢知廉ファンサイト]
[トップページへ] [見沢知廉の略歴] [見沢知廉の著書・作品] [見沢知廉の名文] [ファンサイト掲示板] [お気軽に寄稿を]
[見沢知廉の研究:目次へ]
[見沢知廉、ここに眠る。]

【ちょっと過激な東京見聞記】・・・・・朱斑羽

※メールマガジン「殺気ある文学」に掲載した文章です※

 私はこの春、大学を卒業し、就職先の新入社員研修のため3週間ほど東京に 滞在しました。その間、僅かな休日を活かして東京見物を敢行したわけですが、 他のみんなとはちょっと変わった東京見物となりましたのでご報告致します。

○四月三日:上京し、共同謀議に参加する

 東京では福岡より早く桜が満開になり、すでに築地本願寺では散り始めてい た。羽田空港からまっすぐ維新政党・新風の東京都本部事務所へ向かう。地下 鉄を降りて地図を頼りに歩くがなかなか見つからず、同じ場所を大荷物を抱え てぐるぐる廻る。漸く発見したのは小さな雑居ビル。小さい表札。恐る恐る階 段を昇り、ドアを叩く。都代表の鈴木信行氏が笑顔で迎えてくれた。その日は、 鈴木都代表が東京近郊の若者を集めて顔合わせをやるという。その後続々と同 世代の男性諸君が集まった。その日は暗くなるまで「どうやって日本を変える べきか」と討論。徹夜明けの私もハイテンションになり、途中で何を言ってい るのか分からなくなる。その場におられた中に「朱斑羽」をご存知の方がいた。 恥ずかしくもボクなんです、と告白する。いつの間にか外は土砂降りに。
 ありがたくも、会社指定のビジネスホテルまで車で送っていただく。

○四月八日:一水会の街宣を見学し、三島由紀夫映画祭へ

 一週目の研修を終え、土曜日の新宿へ向かう。昼からの一水会の街宣を見学 するためだ。一水会はかつて見沢知廉が議長を勤めた政治団体である。既成右 翼のように戦闘服と高圧的な街宣車で軍歌を流すようなことはしないことで有 名。その市民運動的なスタイルは『ゴーマニズム宣言』でも紹介されたことが ある。現在の代表は見沢知廉の盟友である木村三浩氏である。前代表の鈴木邦 男氏や木村氏は見沢知廉の作品のなかで度々モデルになっている。

 はじめ、新宿駅前の街宣は二人だけだった。シンパがいるかと見渡してもそ れらしい人はいない。一人が街宣車の上に立ちマイクをもって演説し、一人が 機関誌「レコンキスタ」を販売している。この日は特別参加者が少なかったよ うだ。機関誌を三ヶ月分購入する。福岡の偉人・頭山満が表紙になっているも のがあったので驚いた。機関誌を売ってくれた男性と少し話す。笑顔の素敵な 優しい人だが、いざ車上で演説を始めると激しさに圧倒された。最後の方に代 表の木村氏が現れた。残念ながら木村氏の演説を聞くことはできなかったが、 見沢ファンクラブとして挨拶をすることができた。木村氏からも「見沢知廉追 悼本」のことを聞く。

 夕方は山手線を乗り継いで大森へ向かう。キスカ大森という映画館で「三島 由紀夫映画祭」をやっているからだ。お目当ては勿論『憂國』。三島由紀夫自 作自演の短編映画で、切腹シーンを含んでいることから三島の死後、夫人によっ て上映禁止・全巻破棄の憂き目にあった曰く品である。最近オリジナル版が発 見されて新潮社の全集からDVDとして発売されることになり、今回は先行上映 となった。壮絶で美しいこの映画に陶然となる。

 その後、靖国神社に参拝し、夜桜デートを楽しむ。さらに新宿へ戻り、居酒 屋で食事をしてゴールデン街へ。野村秋介氏や見沢知廉も訪れ、木村三浩氏も 常連だという「ル・マタン」というスナックで呑む。カウンターのみで、名物 ママが一人でやっている店だ。壁には「レコンキスタ」などが所狭しと貼られ、 棚には難しい社会関係の本が並ぶ。ママは裏世界のことを知り尽くしている。 しかし以前から韓国ドラマに嵌っているそうな。意外に今どきのおば様らしい。
 暖かくもてなしてくれたママと、一日エスコートしてくれた司ちゃんに心か ら感謝。

○四月九日:支那共産党批判デモ行進に参加する

 昼、新宿の大久保公園へ向かう。支那共産党がプロデュースし暴動になった 昨年の反日デモに抗議する反中デモである。誰よりも早く集合場所に着いたの だが、続々と背広姿のおっさんが集まって遠巻きにこちらを観察している。後 でわかったことだが、公安警察だそうな。集会が始まって決議文が読み上げら れたりしているところを皆で仲良くメモっている。日差しの強い中ご苦労なこ とだ。台湾からも多くの参加者があり、黄文雄氏や林建良氏が檄を飛ばす。支 那共産党の迫害を受ける諸国の旗が乱立し、非常にカラフルなデモ行進が始ま る。参加者は老人から子どもまで。おもいおもい、自作の横断幕やプラカード を掲げる。私は日章旗を掲げ、先頭付近を歩く。新宿中央公園まで、日曜の人 出が多い中をシュプレヒコールをあげて延々と歩く。先導する維新政党・新風 の街宣車が頼もしい。緊張の初体験だった。

○四月十五日:サムライに会う

 東京から電車を乗り継いで二時間ほどの場所へ向かう。ある人物に会うため だ。その人とはネットで知り合った。年齢は56歳、大先輩である。見沢知廉 と同じく、政治犯としての入獄経験もあるらしい。待ち合わせ場所で震えが来 たが、実際お会いすると、もの凄く優しそうなおじさんだった。熱い握手を交 わし、そのまま城跡へ向かう。桜の下で酒を一杯。男の生き方について教えを 受ける。壮絶な人生を歩んできた人なのに、まるで仙人のような風格だ。いや、 その生き様、信条はまさに武士だ。豪快な笑いに惹きこまれて楽しくなる。夕 飯までご馳走になってしまった。  「君は政治活動に入ろうとしているが、すでに公安にチェックされているか ら気をつけろよ」という警告。びびりながらも「平気です。志がありますから」 と応える。この人の言葉はずしり、と来る。

○四月二十二日:見沢知廉のお墓に参る

 見沢知廉が熱烈に愛したアイドルグループがある。それはキャンディーズだ。 深笛義也氏は、左翼時代の見沢知廉とキャンディーズについて熱く語り合った と証言している。そのキャンディーズのファンサイトを運営している女性と、 見沢ファンサイトを通じて知り合った。彼女は、晩年の見沢知廉と頻繁に情報 交換をしていた。(この件に関しては次号で詳しくお伝えする)

 その女性も残念ながら見沢知廉と直接面会することはできなかったが、是非 お墓参りをしたいと仰っていた。東京滞在最終日にこの女性と待ち合わせ、文 京区にある光源寺へ向かう。頼りとなるのは正狩炎氏のウェブサイトにある地 図だけである。途中の花屋で墓参用の花を買う。この辺は何故か寺院が多い。 同行の女性がいなければ、方向音痴の私ではいつまでも到着しなかっただろう。

 漸く辿り着いた光源寺は本堂の工事中だった。工事現場の間をあるいて墓地 に向かう。手狭な敷地内に墓石がびっしりと並んでいる。水桶と柄杓を借り、 線香の束を買う。「すっかりお墓参りスタイルですね」と不謹慎に笑う。私も その女性もあまり墓参りをしたことがないのだ。

 墓地をぐるぐる歩き回って「平井家之墓」を発見する。側面を確認すると見 沢知廉の戒名がしっかりと刻まれていた。二人で墓石を清め、花と線香を手向 ける。ライターの火をを強にしたのだが、なかなか線香に火がつかない。入り 口にガスコンロがあった理由を知り納得する。

 二人で手を合わせる。女性がキャンディーズのグッズやビデオなどを供える。 「見沢さんならすぐに高速ダビングして、あの世で楽しんでくれる筈」と。見 沢知廉ならできそうでコワい。素晴らしく快晴で、風の強い日だった。  わざわざ神奈川から来てくださり、見沢知廉から贈られたというキャンディ ーズの本を譲って下さったSEEDさんに感謝。

 怒涛のような東京滞在を終え、翌日帰郷し、仮配属先で五月病に罹る。 (朱斑羽)

しゅ・はんう 見沢知廉ファンクラブ白血球團 運営委員


見沢知廉氏に関する情報提供のお願い

 見沢知廉ファンサイト『白血球』は、見沢知廉氏に関する情報の寄稿を募集します。 特に政治関係・文学関係で交際のあった方、見沢氏とのエピソードをお寄せください。 事実の確認が取れ次第、このサイトに掲載いたします。
>>寄稿はこちらのメールフォームから


■著作物からの引用は、必要最小限度(法律の認める範囲内)に留めています。
■管理人・朱斑羽が執筆した文については転載自由です。
■プリントアウトに適した幅になっています。

[管理・運営 福岡情報研究所]