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見沢知廉探究ノートA『天皇ごっこ』・・・・・・中村幸雄

※本稿の一部はメールマガジン「殺気ある文学」に掲載した文章です※

「天皇」が出現するとき

 本文を読む前に、あらすじや人の意見などで、私はたいてい次のような単語を耳にしていた。それは 天皇、左翼、右翼、刑務所、精神病院、そして北朝鮮である。果たしてこれらがどうやって一つの小説 の中でまとまっているのかが全然予想がつかなかった。でも、読み終えて納得した。なるほど、氏の緩 急のついたテンポから生み出される文体は、いつものように情景が時期早々にリンクすることも多い。 だが全体の底流は論理なく漠然としてでも一つの空気をめぐって流れている。それが小説のおもしろい ところでもあるのだが。今回はそれが末部に登場する、「天皇ごっこという名の血のゲーム」云々で柔 らかく示されてもいる、と私は思った。それで、次のように理解した。この本、バラバラな世界が列挙 してあるようで、天皇ごっこと宣告できるまとまり感があると。それは天皇制という社会システムで結 んでいるのでも、右翼たちが陶酔する、すめらみことの神国日本の象徴で結びつけられているわけでも ない。統一されているように見せているのは、天皇への感情の中身、具体的にいえば、共同体に住む日 本人が家長を賛美せざるを得ないときに現れてしまう意識であった。これが、異なる場面を経ても類似 して、連綿と作用しているのだった。(極左の天皇殺しも戦争責任問題と人間存在の天皇と共同体の父 性を帯びる天皇が密接に絡まり合ったコンプレックスとして見るなら問題は同じなのだ。)問題、それ は国家の単なる象徴や人間存在とは別次元の場所で「天皇」が現れるということである。

 実はこれは大変な問題で、燃え上がったどこかの変な個人の情念ですむ問題ではない。そういう過激 派もいるかもしれない。しかし命を賭した右翼や歴史上の人物は、この感情が個人の自己満足や利害や 保身を超えた重要な何物かであることに気付き始めている可能性が強い。 

 社会学者の宮台真司さんは天皇ごっこ解説でも、次に引用する神保哲生氏との対談本『漂流するメデ ィア政治』(春秋社)でも類似する事を述べている。たぶん彼の実存を賭けた(?)持論ではないかと 私は思う。

 ≪日本の場合は、どのレベルまで行ってもムラ。どんなに正しいことを言う人間がいても、内容的な 正しさでは影響力を持てない。内容が正しいことを言って脚光を浴びると、「偉そうにしやがって」と あっというまに足の引っ張り合いになるだけ。/ 明治維新政府が天皇制を導入した意味が、そこではっきりするんです。日本では理念によってリーダ ーシップをとることができない。田吾作の足の引っ張り合いです。しかし、政治である以上、リーダー シップの実効性を可能にするシステムをつくらなければならない。/ だから天皇という田吾作とは別格の存在を担ぎだし、本当は田吾作から田吾作への命令なんですが、 「これは天皇の命令である」として命令を下す。虚構の枠組みではあるけど、そのことで、はじめて全 域的・全体的に実効性を持つような命令が可能になった。

 さて日本人はこういう存在なんです。あなたは正しさを主張したいときどうしますか。と氏は問いか けているようだ。その方法は大きく二つに分かれていくのかもしれない。「右」の天皇に代表される、 我ら共同体の最上位を根っこにするのか。それとも「左」のように、自由・平等という近代リベラルの 原理を日本型に当てはめていくのか。こうなるとかつてサルトルを読んで、常に現実を疑い、状況のな かを生きた人たちを、21世紀に引きずりこんで考えなければならない。「本当に正しいことなんて何も ないのでは」と思った彼らは、実存的な「正しさ」に賭けた。左の学生運動が残したものもいったいな んだったのか総括が必要だろう。あと日本で近代フランスの公共・福祉とやらがここ100年で実際に人の 心、日本人の心のねっこにまでもたらした恩恵があるなら、それも捕らえ返していかなければならない。

 天皇ごっこにはかかる重要問題まで内在されているのである。もう天皇絶対賛美なんて場面は、覚醒 効果があるように見え、俺たちには関係ないと思う人が多いかもしれない。だが、それは極度のカフェ インのようなものに過ぎず、私たちは「微量」に天皇の賛美に日々取り囲まれているのことに気付く。 自分は天皇主義者かもしれないと読了後思ってしまった宮台氏のように…

北朝鮮における近藤の二礼二拍について

話は全く変わりますが、こと描写のみでは、見沢さんの著書のなかで、このシーンが最も個人的に気 に入っています。まるでビデオカメラのように書かれています。状況が伝わってくるようでした。

 ≪一行を代表して、近藤とツアー客一人が烈士陵中央の巨大な石の赤旗の下に、献花をすることにな った。二人が花を持って並ぶ。近藤が、花を置いて礼をしたので、隣の客も合わせて礼をする。客が手 を合わせようとすると、近藤がもう一度頭を深々と下げた。隣の客やガイドが首をひねる中、近藤はパ ン、パンと二回手を叩き、深々と一礼した。日本の神式だ。右翼とはいえ、抗日の烈士陵で神式とは。 ガイドやチマチョゴリ、一同顔をしかめた。

このときの「えっ?」という気持ち、不思議さが簡潔に語られている。客が手を合わせようとする→ もう一度頭を下げる(礼と言ってしまっては事件の偶然性が薄まる)→首をひねる中(まだ何が起きて るかわからない)→パンパンと〜(ああそういうことなのかとわかる)。読者も参加して追体験してい るようだ。おもしろい。でも冷静に想像しないとこう書くのは難しいだろう。後からこの流れを思い浮 かべると神式という言葉、結果ばかりイメージしてしまうから。そこに至るまでの様子をこうも短くわ かりやすく連ねるのは非常に難しいと思う。

問題 本書を通して登場する「天皇」とその主題について述べた文のうち、最も適当なものを、次の1 〜5のうちから一つ選べ。

@ 監獄、精神病院だけではなく、新左翼と過去のテロまでも巻きこんでいる「天皇」の理念は、北朝 鮮においても現れ、左右運動の垣根を越えたところにあるものを示し、共同体日本の根本を見事に描き 出している。

A 監獄、精神病院、北朝鮮などといった、特殊な環境を一つのキーワードでつなげているとともに、 立場は異なれども、神懸り的な「天皇」を求めて陶酔している人たちの心性が、具体的な過去の事件も 用いられつつ、多彩に展開されている。

B 監獄、精神病院、北朝鮮、右翼等の個々の世界を、すべてを清めてしまう偉大な共同幻想である「 天皇」のもとにまとめ、一方では新左翼などの天皇制打倒テロを挙げることで、天皇への燃え上がる心 情が対比的に描き出されている。

C 監獄、精神病院に、そして右翼・左翼の運動に携わった人々も、最後には崇拝せざるをえない「天 皇」という存在が、本書を通して一貫して流れており、天皇制を一心同体の理想として心の中で堅持し ていく様子が作者の思想とともに楽しく展開されている。

D 監獄、精神病院という世界を、左右の運動も交えて、国家的首長の伝統を持つ「天皇」の力でつな げてしまうことで、過激派だけではなく、実は我々一般市民も大きく「天皇」に左右されている様子を おもしろく描いている。

 いやーしかしなにか変な感じがしますね。権力とアメリカに常に立ち向かってきた見沢さんの文で国 家権力とアメリカの象徴(国家公務員試験とセンター試験)のような問題を作るのは(笑)頭が硬くて 世界観が狭い官僚さんと新自由教徒に解いてもらうとか。え?それはおまえだって?いやはや失礼しま した。でもマジでこういう試験があればおもしろいなあ。もうあの全員を哲学者として育成するような 課題文はやめにしてもらいたい。どうせ客観問題なら課題文は過激派でも何でもいいような気もする。 でも教科書とテストは公平に。か…ほんとに日本人は概念を超えて公平さとか正しさに弱い。音楽やス ポーツをめざす人ならその手の文を出せばいいし。どんな文章でも最悪、悪夢の正誤問題に持ちこむ手 もあります。独りでもできるんだから。こうやって課題図書をいっぱい出して問題もたくさん作ればい い。最低一冊読まないといけないし読書推進運動にもなると思う。

なかむら・ゆきお 見沢知廉ファンクラブ白血球團 運営委員


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