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見沢作品探究ノート@『ライト・イズ・ライト』・・・・・・中村幸雄

※本稿の一部はメールマガジン「殺気ある文学」に掲載した文章です※

問1 本書を読み終えての感想を自由に書きなさい。

祭りについて

 今となれば偶然。夢舞台とはこのことか?80年代を生きる過激な若者たちのや わらかで楽しそうな顔 が目に浮かんできそうだ。著者は自らを回顧しているようだ。なんとゲーム、同 棲、キャバレーなど都 市ではごくあたりまえの典型的な空間のなかに、「活動家」がさまよう。管理社 会の21世紀から見れば 、ありえない不気味ともいえる光景である。  7月、見沢氏とおぼしき書きこみを掲示板で見つけたことがあった。「もっとで かい祭りがしたくない のかよ」とあったが、本書を読んで意味がやっとわかった気がした。  確かに、世界にまで拡大される「祭り」は自己満足を超えて崇高な事業になる 可能性をもつ。それが 一方で神風特攻隊やナチスのユーゲントたちを生んでしまった結果は認めねばな るまい。が近年はここ までグローバルな自慰文化が商品が浸透してしまった。我々はテクノロジーによ る死の文化・制御・反 復強迫にとらわれつつ誰もが日々生活している。となれば、実は「祭り」の再考 に迫られている時代で もある。夢や遠大な目標などという「偉大なもの」が、狩猟生活の本能が否定さ れつつあるのだ。政治 や経営でも目に見えないおおまかな戦略というものが無視されている。

 ある夫が苦しくなる家計と子供の将来について考えていた。しかし妻に「あな たなに幻についてマジ に考えてるの」と一蹴され、目に見えるものにしろと怒られた。自分がばかだっ たと思った。そして会 社ではやれ目に見える成果主義だ時価会計だと迷っていた新制度を新たに導入し た。結果A社独自の人 間関係が崩れた。社員が育たなくなった。一方家では貯蓄を直接投資に切り替え てポートフォリオを組 む。本来は挑むべきわからない未来というものを計算する、割り出す。そんなな かで満足は得られない がささやかな快感に日々襲われた。少し楽しくなってきた。考え方も変わってき た。情報を握らず行動 するのは馬鹿げている、負け組だという。よしこれで今後10年の家計の見通しが たったぞ、さあサラリ ーマン増税でも何でも来い。パパは偉いだろと毎日自慢するようになった。  こういう時代になった。これが悪いとはいわない。だが私は9年文句をいわれて も10年目に金鉱を掘り 当て魚の確実な漁法を見つけた祖先を敬いたい。家族を見返して幸せにした昔の パパを見習いたい。男 が得意な戦略、夢、祭りなどのモデルは、時間も場所も見通しは立ちにくい、そ もそもよくわからない ものだ。信念をもって見えないものを規定し開拓していかねばならなかった。原 始人はそうして女子供 のいる家を後に、狩に出かけたり移住計画を熟考したりした。でも最近は金儲け 主義にみるように、長 い目でものを作る絵画的行為や、長い目で失敗にも耐え育てるという農業的行為 が忘れられている。長 期的展望と密接に関わってくるものとして祭りごと(政)があった。

 失われた祝祭はいまや小さくなった。近代では博物館・デパートに閉じること となったと社会学者は 言う。現代社会では何であろうか。映画館、ライブハウス、海外旅行、イベント のトークくらいか。が 見沢作品は大きい姿を創り出そうとする。  本書は祭りにあふれている。しかもごくありふれた生活と結びついている形で 。さらに特筆すべきは 、お祭りが日常と混ざり合って調和していることなのだ。日常と祭りの差異が都 市中で戯れている。バ ルトの「ストリップ嬢が脱ぐか脱がないか」に関する命題の構造と似通ってくる 。彼女が裸という衣装 を着る様に、「見沢まつり」は田村の言(parole)で日常という衣装にまで高め られていく。

維新革命について

 20世紀を終始貫いていた病気ともいえる闘いは資本主義対社会主義であった。 初期は社会主義の教え に多くの者が賛同したものの後にはひたすら資本主義の豊かさにおされ衰退し枯 渇していった。世紀末 には「敗北」ともなずけられた社会主義。だが社会・共産主義者たちが抱きつづ けてきた夢、150年の知 的武装の歴史、それはついに維新革命の理想に委ねられた。よりによって国粋主 義者に委ねられるとは !田村は演説により歓喜の渦に巻き込まれている。彼の演説・言説(discours)と ともに歓喜できるもの たちは他にも必ずいることだろう。いにしえの病的な武装のための知識をいまこ そこの国のために使う ことができるのだから。そこには右も左もない。さらに市民運動家も小説家も自 由に入ってきて楽しく 暴れられる。ライトイズライトの世界が広がっているのだ。なぜ正しいと言える のか?−なぜならこの 国を自らの足で立たせるために、共闘するのだから。そして彼らはまず日本の戦 後YP体制打倒を唱え、 結果各国も民族自決=自主の原理を貫通する必要があると説く。右翼は、わが国 の誇りをとりもどすた めに。左翼は自主的な民族国家を建設するために。両者が叫び合うも協力する姿 が思い浮かばれる。思 想観念を追うだけでも、楽しい作品である。

問2 本書にときおり登場する「小堺」の言動に託して、作者は何を語りたかっ たのか。あなたの考えを800字程度で述べなさい。

 小堺は眺めている。放任主義をとる。組織では若者たちが自由に考えられる雰 囲気を創り出したかっ たのだろう。そこに一つ重要なポイントがある。代表の彼がある意味道化じみた 役割を背負っていると いうことこそ、実はA会に自由な思想潮流を流しこみ、感情的な不合理思想も許 容させる大きな原動力 となっているのである。

 革命思想などというのはそもそもガチガチなイメージがある。ロシア、中国、 北朝鮮の共産主義史か ら皆が学び取るもののひとつに、頭のよい一握りのエリートが思想でがんじがら めになって貧民を支配 するという光景がある。資本主義の経済上の不平等に対抗するために、彼らは厳 密な思考を要求しすぎ た。結果、病気になった。「意味」にとらわれすぎた。合理主義を徹底して狂気 におちいるおそれもあ った。人間味に欠ける考えが先行してしまった。さて近藤たちはこれではいけな いと思ったのか、右翼 に革命の情念の歴史は委ねられているのではないかという思考をたびたびみせて いる。各民族の自主を 尊重し、健全な愛国心をもちうる革命運動を田村も叫びつづけている。そこで浮 かんでくる彼らの地平 と小堺は実は妙な接点で出会うのである。彼の魅せる道化性は、意味を超えた不 合理なテロ・ゆらぎ・ カオスを全面的に押し出して自らの政治哲学を可能なものにしたいという田村の 情念にうまく適合する 。

 本文にもそれを匂わせる箇所は多い。第一に小堺の議論シーンは一箇所だけだ が、消極的な攻撃が多 い。よく言えば王道だ。「右翼にも○○という点はあるのではないか」という具 合にだ。この現状を疑 ってかかる姿勢は当然消極的な考え方を導いて、懐疑世界を生みだしていく。不 合理な運動をより促進 させよう。

 第二に、彼は三島事件の十字架を背負っている!と描写されている。が過去の 思い出に「心」が縛ら れているなら、皮肉にも彼の現在(本文での日常)は自由に形作られていく面も 多いだろう。つまり内 部が情念により自律的に縛られると、まるで禁欲者がタブー以外の快楽には寛容 なように、思想・頭脳 面においては自由な運動が頻繁ににみられるのではないか。ある老人が引退し会 長になってからとたん に、会社の経営をゆっくり眺められ、好き勝手なことを喋るのににている。(こ こで「喋る」に注意さ れたい!演説ではない、それは無意識的な拘束された面つまり三島事件、実質的 経営と関わってくるだ ろうから!)

 普段の小堺は評論家かもしれない。が本文中ではあまりその気配は感じられな い。ただ純粋に喜び、 面白がり、物見する、代表の境地がある。その場は不合理思想を持つ田村の情念 であり、若いツカサが 突っ走って行こうとする未熟な先をも象徴している。理屈で割り切ろうとしない 代表の存在は、彼らの 80年代の夢という表象をみごとに象徴したものとなっている。

問3 本書の題名ライトイズライトについて述べた文のうち、最も適当なものを 次の@〜Dのなかから一つ選び記号で答えよ。

@ツカサにも歴史上連綿と流れている、三島由紀夫などの革命的情念を継ぎ、 運動に客観的な正しさ を求め奮闘する彼らの様子が、楽しそうな行為を交え、ライトイズライトという キーワードに集約され る形で描かれている。

A近藤や左翼すらをも巻き込む世界革命の理想が、力、暴力、パッション、叫 びへのジリジリした欲 望とともに田村たちを語らせしめ、最後にはライトイズライトを宣告されるにま で、高められていく展 開が面白く描かれている。

B松井に見られるように、皆が革命など本当はどうでもよく、革命精神と夢が 交じり合う青春を味わ い、趣味、遊戯を交えて楽しく運動する様子が、最後にライトイズライトを叫ぶ 肯定により、見事に初 めから貫かれている。

C若者たちが不安定な心情や半覚醒状態を見せつつも、楽しんでいる運動が田 村や近藤の演説を通し て追憶され、最後には、革命的情念の歴史をも背負い自らを肯定しようとする意 志がライトイズライト を発することで面白く描かれている。

D温厚に見守る小堺のもと、ツカサの若いエネルギーと田村の明晰な頭脳が活 躍することで、多彩な 運動家の顔ぶれは、まだ対立点を多く残しつつも、ウヨクという一つのキーワー ドによって結合に導か れている様子がライトイズライトを通して楽しく描かれている。

 ※@客観的正しさを求めるがおかしい。また運動の正当性を達成し表現したとか いう話ではない。

 ※A理想が〜高められていく展開がおかしい。本文から判断は不可能。これだと田村が A会全体をオルグしていったようにきこえる。理想が−語らしめ−高められた過激派の物語ではない。

 ※B革命などどうでもよくがおかしい。そこまで言いきれるか。「青春」「楽しい」は合っているが、 それを肯定して全体を貫いたかはよくわからない。田村の思想、ツカサの英霊、小堺の十字架など背負 わされている苦悩も多い。

 ※Cまず追憶が合っている。ほか若者、不安定、楽しんでいる、というキーワ ードが欲しかった。歴史を背負っての自らの肯定(ツカサ)も合っている。【正解】

 ※D多彩な運動家がこの言葉で結合したという話で はなかった。もっというとヨーコとかいうやつもいるし、近藤は左翼万歳を叫ん だりする。むしろバラバラで対立点が少ないともいえる。

なかむら・ゆきお 見沢知廉ファンクラブ白血球團 運営委員


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