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一見沢ファンの追悼文・・・・・・中村幸雄

 万人が最も必要としているのは何者であるかを、おまえは知らないのか? それは、偉大なことを 命令する者だ。
 偉大なことを遂行するのは困難である。しかし、もっと困難なことは、偉大なことを命令すること だ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』最も静かな時)

 かつて一水会の集会やイベントで見沢氏を何度か見かけた私は、畏ろしさと敬う念が同居して、まさ に畏敬の念でずっと彼を見つめていたものだ。機関紙などでは過激な発言を繰り返し、作品では強力な 光と闇が印象的な、見沢さんは、恐ろしい以外の何物でもなかった。こんなを命を賭けて文学や運動に 邁進している人に対し、単に興味を持っているだけの自分は容易に近づくなんて値しないと思っていた 。その彼が死んだ。が死を知った日、気持ちが落ち着いてきたあと、自分の中で妙なことが起こりだし た。まるで神社の巨大な木が失われたような、去勢されたような不安が襲ってきた。あたかも小さな父 親殺しがおこったかのようだった。

 フロイトは、精神分析学の開祖であるが、エディプスコンプレックスに代表されるように、幼児期の 子供と父母との関係について詳しく論及したひとだ。彼の遺書「モーセと一神教」に至っては、父と子 に関する神経症的な問題を、モーセとユダヤ教の成立にまで応用している。さてこの遺書論文も含めて 彼は次のような話をよく持ち出す。

 かつて偉大な魂かつ荒れ狂うような強大な精神を持つ父がいて、母と家を支配していた。そこで子・ 兄弟は母親を自分の物にしたいがために、父が「いなくなればいい」と思った。ところが、彼は、父を 愛してもいる(かつ本人が父性を継承してもいる)のでこの気持ちは抑圧された。または直接叱られる ことで抑圧された。というものである。

 実はこのような事件を経ることで、子は社会性とか道徳とか文化へと愛を向けるようになる。さらに 父が死んだ後には、子は自らが父の地位を占めるとともに、父親との摩擦や葛藤を残そうとするという 。トーテム動物や食人民族や祭りなどがよい例だ。この文を、父を見沢氏に兄弟の一人を私に母親を文 学・運動という語で置き換えて読むと、見事に自分に当てはまる気がしてしまう。自殺を聞いた日、ド ストエフスキーのカラマーゾフの台詞が頭のどこにあったのか大量にありありとよみがえって一日中変 だったのを覚えている。さらに見沢さんのことは有名な父親殺し問題とセットになり、二ヶ月も毎日頭 の中から離れくなってしまった。いったいなぜ、見沢さんが父性を感じさせるのか。

 一水会で鈴木顧問、木村代表とは個人的に話をさせてもらった。多くの教えも賜ってきた。会を生み 見沢氏よりも中枢を担ってきた方々だ。けど私にとって彼らは、70年代という日本の荒流を経験し、す っかり消化してしまって、時を経て海へと出てきたような存在だ。かつて、学生運動時代の急流や滝を 潜り抜けた魂はいまや海=母になり、他の人を育てたり見渡しているようだ。鈴木氏はその急流から文 化人と化した。評論家になった。一方の木村氏は国際的な路線を打ち出し、イラクとの連帯、インド訪 問などを通して国の枠を超えた民族主義を根っこから作り出してきた。結果、両者とも「ゆったりし た」過激派となった。ひとつの思想に縛られるということがなくなった。付き合いのある人も、直接思 想と対峙するとか絶縁するとかいう機会はもはや少ない。

 だが見沢相談役からは、もはや過激派ではなく、獄中で身体を滅ぼしたとはいえ、会の滝=父のよう な表象をつねに受けてきた。以前の右翼だ維新革命だ、思想哲学だというエネルギーがどこかで、文学 を通してでも、一貫して流れている。山麓の川のようにアジり、湖のような人間観察を自然描写を散文 上で展開する。そう、あの人は会の父性的な面(統治・創造・命令・理念)を多分に持っていた。ペン が激動する、精神が高揚する、風格が冴える、行動する人間…つねに動的だった。鈴木氏・木村氏は静 的なイメージなのに対して…

 私は無意識では彼を支柱とみなしていたのかもしれない。学生運動時代の精神を保ち、つねに世に訴 えることでそれを復活させる力を持つ、活動家の支柱のように。一水会を眺めているときも、「「いざ 」となれば見沢さんがいるからなー最強の秘密兵器が。」なんてのんきに思っていた。傷つけられて、 風雨を耐え忍んできた跡が垣間見える大木には、30年の左と右と文学とが染み付いていた。普段は畏れ 多くて近づけなかった。そんな大黒柱が突然いなくなったのだ。だから怖ろしくなったのだ。罪悪感を 過剰に感じたり、原父殺害の遠い記憶が頭の中で誘爆したりしたのだ。毎日、おまえが死を望んでいた のではないかと言う恐怖に駆られるとともに、あの強烈な力を何でとり繕ったらいいのだろうという思 いにも駆られる。

 さて独断的な心情ばかり述べているが、これらはまったく私一人だけのことでもない。それほど見沢 さんという人は、非凡な才気や強靭な精神を持っていて、この世で叫び続け、そして突如いなくなった 。このことは大きい。重いということだ。そして私のような他人より、「残された人」はもっとあの強 靭な精神力と向き合わなければならないわけだから重いにきまっている。

 ではわれわれは、この不安に際し、彼の死後、見沢さんの兄弟たちと何ができるのだろう。希望はあ る。フロイトの説では、原父殺害や偉大な宗教的指導者の消滅の後は、兄弟連合が出現しリーダーの埋 め合わせをしてきた。父の力を社会的な拘束力に転化し、兄弟間の争いを静め、「和解」「制度」「社 会契約」を生み出してきたという。それが文化といわれているものでもあるのだ。話がずれそうだが、 要するに、見沢文化は必ず氏に対して後悔や罪悪感を抱く人間たちによって、後世に残されて行くこと になろう。モーセの死後律法が、イエスの死後なぜかパウロが登場してキリストが、わが国でも菅原道 真の神様化、信長死後の秀吉の革命的な社会制度や家康の幕藩体制の形成、戦後の生き残った日本人に よる高度経済成長などがある。これらを為した人たちはみな「憂いる偉大な精神」を失った罪悪感から 生まれてきた。そして『ライト・イズ・ライト』に描かれている、A会を設立した小堺という人物もその一人 なのだ!。わが国はエディプスコンプレックスが強い国だと武士を見てフロイト本人が言っているし、 大丈夫だろう。いや難しい伝説を持ち出すまでもなかったかもしれない。見沢氏は、偉大な感受性や精 神を有していた人で、それを武器にこの地上で力の限り戦ったのだから。どうして、周囲の人に記憶が 色あせてゆこう。

 というわけなので私も見沢知廉ファンクラブを応援して、できる限り協力していきたい。また彼の後 継者「見沢チルドレン」達は、絶対何かやらかしてくれるに違いない。いやその前に見沢氏本人があの 世から何かやらかしてくれるに違いない。

 わが祖国から急激に失われている、いや絶滅寸前の父性、それを見沢知廉という人に感じた。いまはご 覧の通り中身のないことしか言えない。何を書こうとしてもこの話になってしまうから。これから見沢 さんの著書を探し出して読んでいきたいと思っている。そして改めてちゃんとした感想文をたくさん書 いてみたい。(中村幸雄)

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら豊 かに実を結ぶようになる。
(ヨハネ12:24)


なかむら・ゆきお 見沢知廉ファンクラブ白血球團 運営委員


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