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見沢知廉への追悼メッセージ

【白血球】追悼掲示板に寄せられたメッセージの一部です

「同世代として大変残念におもう やすらかにお眠りください」(むーみん)

「お母さんがかわいそうです」(h)

「見沢さん、速達のお返事書けずにごめんなさい。でも、こんなサイト作ってくれるファンがいてやっぱ、見沢さんは見沢さんだった・・って改めて嬉しいよ。う〜ん・・・出会って良かったし色々ありがとう!」(花廉)

「<ショックを受けた>とか<落ち込んでいる>とか<やりきれない>とも違い、ただただ悲しい気持ちでいっぱいです。見沢さんのことを思うたびに涙がとまりません。見沢さんの文学が大好きでした。<ありがとうございます>と是非お会いして伝えたかった。」(祥)

「とにかく悔しくて仕方が無い。前日に何か気になってネットを検索したら、支離滅裂な文章が書いてあった。まさか次の日に逝ってしまうなんて。。。お金があったらいくらでもカンパなんてしたのに。なんで死んじゃうのよ。」(やまだ)

「とっても、とっても見沢先生には元気をもらいました。私の兄も受刑者ですが、待っていてあげよう!何でもしてあげよう!って、ずっと、見沢先生のお母さんを見習って来ました。だから、先生がどのような形で亡くなったにせよ、私は「お疲れ様でした。」と、言って差し上げたいです。ご冥福をお祈り致します。」(風花)

「ふと、思い立って<見沢知廉>を検索していたら、あるサイトに<2005年9月死去・・・>・・・うそ!嘘じゃなかった。いつも気になっていた人だったけど、もう遠すぎるところへ行ってしまった。本を読み返したら泣いてしまいそうです。」(是枝)

「とても残念です。これからの活動を期待していただけに。ご冥福をお祈り致します。」(nil)

「以前新宿でお見かけしました。待ち合わせのようでした。いごごち悪そうに、きょろきょろと挙動不審気に立っていましたね。ファンだった私はちょうどその時見沢さんの本を持っていました。声をかけてサインをもらおうかどうしようか、しばらく迷いました。声をかければよかった……。もっともっと読みたかったです。」(ruka)

「御冥福をお祈りいたします。ちーちゃま 一度でいいからお会いしてみたかったです。獄に入るより親不孝モノだよ。」(しまむらかよこ)

「非常に残念。しかし全ては著作に記されているだろう。この人がいてくれて本当に嬉しかった。あの世で高笑いしていてください!」(友吾)

「見沢氏、大好きでした。泣きました。。。電話では何を喋っているのか分からず、字も解読するのに時間がかかり・・・。だけどものすごく頭のいい方だった。気さくに話をしてくれて色々と危ない話も教えてくれて・・・。彼がいたから人生楽しかったのに。合掌」(mayumi)

「とにかく悲しいけれど、悲しみに流されずに、頑張ります。そして、これからも見沢氏は我々の中に永遠に生き続けています。」(聖)

「自分が実際に刑に服して居た時に先生の作品(獄の息子は発狂寸前)を読み(今では刑務所内では禁止されているかも知れませんね・・)家族の大切さを改めて知り、救われた様な気がしました・・・。もう二度と見沢先生のお姿を拝見する事が出来ないのですね・・本当に悲しいです。一言で良いからお礼を言いたかったです。見沢先生の作品に心を打たれた事を忘れずに生きていきます。見沢先生、どうか安らかにお休み下さい・・・本当に救われました・・・ありがとうございました。」(ちーち)

「見沢氏の訃報に接し、わたしの脳裏に浮かんだのは『囚人狂時代』序章にあったこの一節でした。<あの時代、俺は生きていた。 そして今も生きていることが、俺はすごく楽しい。>それなのになぜ? と思うのでありますがしかし、出獄後の十年間、わたしのような凡庸な人間には想像もできないようなつらく厳しい事がおありだったのでしょう。まことに月並みではありますが、見沢さんのご冥福をこころよりお祈り申し上げます。」(アララギ)

「見沢知廉様 貴方が関わった、ひとつの『命』・・・。貴方を苦しめた創作の日々・・・。貴方が御自身の『命』を削って書いてこられた文学で、救われた『命』も有る筈です。これからも・・・必ず。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。お疲れさまでした。貴方の文学に出逢えて良かった。ありがとう・・・。」(J)

「囚人狂時代を読み返しました。あとがきの<感想がありましたら気軽に書いてください>という言葉に涙が出ました。気軽に書いてももう届かないんだな…と思って。心よりご冥福をお祈りいたします。」(natsuko)

「本当に本当に亡くなってしまったんですね…体調がわるいとか、ちょくちょくHPを気にしながら、いつの日か必ず芥川賞が取れる人だからって一方的ですが影ながら応援していたんで…まさかこんな形でお別れだなんて。はぁ…悲しくて文章がまとまらなくてごめんなさい。一度お会いしたかったです。ロフトプラスワン、行けばよかったな…。後悔しても 見沢先生は戻ってきませんね。向こうで思いっきり好きなことやって、文書いていますか?」(ゆうたん)

「ここ何日か見沢氏の作品を読み返していました。本当に残念でなりません。ご冥福を祈るばかりです。」(smoky)

「狼と革命家は老いさらばえて動けなくなる前に死なねば成らぬと書いてありましが、見沢先生ほどの希少な作家/思想家が亡くなってしまった事は、個人的には誠に重大事であり、ただただ悲しく想います。護国の鬼となってアノ世から、祖国を見守ってくださいませ。先生の作品に有るように、空を突き刺し殺すように右手をあげて爆発するような声で叫びます。ジーク・ハイル!!!」(山桜)

「本当にありがとうございました。と、いっても遅すぎますね。98年、はじめて『天皇ごっこ』『囚人狂時代』を読んだ時に、すぐ公式サイトにアクセスして感想を伝えればよかったです。ご冥福お祈りします。 」(通りすがりのファン)

「自分が一番の理解者だと受け手に思わせるのは、見沢氏が一流だった証であって、それ以上でもそれ以下でも無いと思います。ある意味で、その通り一番の理解者であり、同時にそれは錯覚なのかもね。。見沢氏の死の裏に見え隠れする ?な感じ。 Hideや尾崎、古くはジミヘン…etcの死に見え隠れする物と同じ物のような…私だけでしょうか?なにはともあれ 御冥福をお祈り致します。」(えーいち)

「ついさっき亡くなられたことをしりました。『日本を撃て』以降の本を読んでいないのでその後の著書も手に入るものは読みたいと思います。熱烈なファンというわけではなかったけどそそる作家さんでした。才能をもつ人間としてもっと生きて突き抜けて欲しかったです。安らかな眠りであることを祈るばかりです。」(アン)

「帰宅した際ポストに<見沢知廉さんをしのぶ会>の案内が。しのぶ会?出版記念パーティーか何かじゃなくて?などと思いながら封を開け、たった今、逝去されたことを知りました。仕事でお会いしたことをきっかけに、数回お会いしただけでしたが、当時はよく作品や手紙などを送ってくださって、とてもうれしかったです。ここ数年は年賀状をやりとりするだけでしたが、折に触れ気になっておりました。会おうと思えばいつでも会える。きっと昔と変わらずお話してくださるものと思っておりましたのに…。優しかったお顔を思い出し、まだ信じられない気持ちです。在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。 」(マミ)

「一ファンであっただけの私のメールに返信してくださったこと、今になって思い出されます。短いものだったけど、とてもやさしくて、うれしかったです。ご冥福をお祈りします。」(せつこ)

「見沢さんがいつまでも愛されてる作家さんでありますように…」(千鶴)


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