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『ライト・イズ・ライト』『七号病室』の読みどころ

作品社編集部・青木誠也氏へのインタビュー(朱斑羽)

見沢知廉急逝の直後刊行された『ライト・イズ・ライト』、そしてこの12月7日に発売される『七号病室』。この2冊を手がけたのが作品社の青木誠也氏である。『七号病室』発売を前に、私は青木氏へ電話でのインタビューをお願いした。

朱斑羽(以下「朱」) こんにちは。お忙しい中、ありがとうございます。見沢知廉の遺作となった『ライト・イズ・ライト』と、もうすぐ発売の『七号病室』ですが、どのような経緯で刊行が決まったのですか?

青木誠也氏(以下「青木」) それについては面白いエピソードがあるんです。実は、元々『ライト・イズ・ライト』よりも『七号病室』を先に出版する筈でした。『七号病室』という小説は見沢さんが獄中にいるとき「コスモス文学賞」を受賞した作品で、その文学賞の選考委員に作家の八木義徳氏がおられたのです。その八木氏の遺品から、校正アドバイスを書き込んだ『七号病室』の原稿が見つかったのです。その原稿を八木氏の奥様が見つけられ、作品社に連絡を下さったのです。

 八木夫人は見沢知廉をご存知だったのですか?

青木 いいえ。全くご存知ではなかったのですが、本人にこの原稿を返したいということで、八木義徳氏の著書を多く扱っていた作品社の編集長に連絡があったのです。

 青木さんが見沢知廉にお会いになられたのはいつ頃でしょうか?

青木 古い企画書を確認したところ、『七号病室』の企画を出したのが2002年ですので、4年近く前になるかと思います。編集長から『七号病室』の原稿を読まされた私は、見沢さんに連絡をとってお会いすることになりました。丁度その頃は『蒼白の馬上』が刊行されたばかりでしたが、話はすぐにまとまりました。

 今度刊行される『七号病室』には表題作に加えて『改造』という作品が収められていますね。

青木 『七号病室』だけでは一冊の本として分量が少ないため、もう一篇加えることになり、他の未発表作品をいくつか読ませていただき、見沢さんと話し合って『改造』に決めました。

 青木さんが初めて見沢知廉とお会いになったときの印象はどうでしたか?

青木 見沢さんの自室は「ガロ」誌(青林堂)の表紙になったこともありますが、そのお部屋に伺いまして、非常に雑然としていて物が溢れていることに驚いた記憶があります。私が編集者だからというのもありますが、見沢さんとはもっぱら小説の話をしましたね。見沢さんは作品社から出ている本もよくお読みになっていました。

 何故『七号病室』よりも『ライト・イズ・ライト』が先に出版されたのでしょうか?

青木 実は、評論家の川村湊氏に見沢さんの本を出す話をした際、「それならば『ライト・イズ・ライト』を先に出したほうがいいんじゃないか」と言われたのです。川村さんは20年ほど前、ある文芸誌の新人賞に応募してきた『ライト・イズ・ライト』を下読みでお読みになっており、受賞は逃したものの強く印象に残っていたようです。その話を見沢さんに伝えたところ、「それならば」ということで『ライト・イズ・ライト』の原稿を探してもらったのですが、その原稿を見つけ出すのに随分時間が掛かってしまいました。

 『ライト・イズ・ライト』の出版はすぐに決まったのですか?

青木 2年前にゲラを作ったのですが、見沢さんの怪我による入院などで断続的にしか連絡が取れず、時間が伸びていました。そんな中でも今年(2005年)の2月には本に出来る状態まで行ったのですが、突然見沢さんから「直したいので待ってくれ」と言われました。その後も断続的に連絡は取っていたのですが、やはり「もう少し待ってほしい」の一点張りでした。

 それまでの『ライト・イズ・ライト』の完成度はどうだったのですか?

青木 一つの作品としてまったく問題ありませんでしたが、結局あのような形で見沢さんが急逝され、大量に修正の入ったゲラが遺されていました。著者がもういない以上、さらなる校正は出来ないと考え、その修正された『ライト・イズ・ライト』を急遽刊行することになったのです。

 見沢知廉にとって、『ライト・イズ・ライト』はどのような位置づけだったのでしょうか?

青木 見沢さんは照れ屋な部分があってか、私には面と向かって言いませんでしたが、やはり出版が嬉しかったようです。数年ぶりに出すこの作品で、作家として再出発するという意気込みだったのではないでしょうか。『ライト・イズ・ライト』は確かに過去に書かれたものを下敷きにしていますが、実質的には新作と考えてよいでしょう。

 『ライト・イズ・ライト』と『七号病室』は何故あのようなカバーデザインが採用されたのですか?

青木 亡くなる前まではもっと「1980年代の青春の熱狂」をイメージした派手な装丁を準備していたのですが、急逝されてしまったので落ち着いたデザインに変えました。折角なので、今度出す『七号病室』も同じ路線のデザインにし、作品社から出す見沢さんの著書には統一感を持たせようという話になっています。

 青木さんは他の未発表作品も読まれたということですが、どんな作品がありましたか?また、今後さらに作品社から見沢知廉の著作は刊行されるのでしょうか?

青木 『七号病室』の次については、個人的には出したいのですが、やはり前2冊の売れ行き次第ということになります。私が読ませてもらった未発表作品については、評論家の切通理作さんがほぼ同じものを読んで評しておられますので、良かったら参考にしてください(「戦争しか知らない子供たち」、『ある朝、セカイは死んでいた』所収や、ウェブサイト「切通理作の部屋」など参照)。個人的にも面白いと思ったものが何篇かありました。手足を切られて東南アジアで見世物にされている女を主題にしたものや(『SとMの磁力』)、10代の頃に書かれた、高校の体制批判をテーマにした小説(『自由なるかな高校』)などに注目しました。特に後者は章ごとに主人公が変わっていく長編で、すでにこの頃に『天皇ごっこ』と同じスタイルの小説を書いていたのだ、ということに驚きました。

 近年の見沢知廉の創作活動についてはご存知ですか?

青木 『調律の帝国』『蒼白の馬上』以降も見沢さんは文学賞、とくに三島賞を目指していました。小説家として成功したいという思いが強く、そのためにも『ライト・イズ・ライト』もほぼ新作として完成させていたわけです。また、未発表ですが最近書かれたものに『ニッポン』という原稿用紙100枚くらいの小説があります。この作品は見沢作品としては珍しい設定で、主人公が中年の看護婦になっています。見沢作品に定番の「右翼活動家のモノローグ」も勿論登場しますが、見沢さんとしては新しい要素を取り入れた作品だったのではないでしょうか。

 ファンとしては是非早く読みたいです。ところで、見沢文学には性的な描写が少ないとも言われますが、編集者として青木さんはどう思われますか?

青木 確かにこれまで出された作品で見ると性描写は少ないのですが、未発表作も含めトータルに考えると決して少なくはありません。『ライト・イズ・ライト』にもありますし。今回出版する『七号病室』所収の『改造』では、性転換手術によって両性具有を作ってしまうポルノビデオを見るシーンが登場します。このような要素をすでに20年前に文学に盛り込んでいたわけで、驚くべきことです。

 今回出版される『七号病室』(+『改造』)ですが、青木さんが読みどころと考えるのはどの部分でしょうか?

青木 『七号病室』は、『天皇ごっこ』の第四章に近い作品で、精神科医と囚人のやりとりが中心になっており、見沢知廉らしい作品です。そして『改造』は丁度『七号病室』と裏表の関係にある作品で、見沢さんの人生をダーっと追ったような小説になっています。もし、見沢さんがまだ生きておられたら『ライト・イズ・ライト』同様に大幅に手直しされたのではないかと思いますが、(もともと企画はあったので)急逝されたあと、ご遺族に出版の話をし、20年前の原形のまま12月に出すことが決まった次第です。

 見沢知廉ファンとしましても、これまで以上に幅広い層に読まれることを願っています。ありがとうございました。

(一部敬称略)
文責:朱斑羽 2005年11月30日


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