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萩原周二(会社経営) 転載元:ブログ将門


2005年09月08日 見沢知廉さんが自殺

 本日、「作家 見沢知廉氏が自殺」というニュースを見ました。昨日7日のことだったということです。自宅マンションから飛び降り自殺をして、亡くなられたということです。驚いてしまいました。
 彼の作品は、「天皇ごっこ」も「囚人狂時代」も大変に興味深く読みました。

 彼とは飲む席で何度かお会いしました。一度は、ある爆弾闘争の裁判が終了したときの席でした(その裁判は冤罪事件でした)。このときにちょうど乾杯のときに、彼は私のとなりにいました。でもまだ私は彼のことを知りませんでした。ただ彼の周りのメンバーとの雰囲気から、「なんだ、日学同の関係のメンバーかな?」なんて思ったものでした。

 それからまた何年後かの忘年会で、彼と元日学同のメンバーと会いました。その忘年会は、60年安保世代から、私たちの年代の活動家、そして少し年下のいわゆる「全共闘」のメンバーの集まる忘年会でした。
 そうした場には、必ず鈴木邦夫さんをはじめとして、いつもいわゆる新右翼のメンバーも参加しています。そこで私が詩吟をやりましたら、その新右翼で私を知らない人が、同じ右翼だと感激したようです。同時に映画監督の高橋伴明さんが、私のことを右翼だと思ったらしく(そのとき初対面でした)、「右翼は殴らなくちゃ」と私に迫ってきまして、私のシンパ層の人も構えたりしまして、でもたしか、唐牛眞喜子さんが、私のことを伴明さんに説明してくれていて、それから私は伴明さんとは顔見知りになりました。
 そんな中で、見沢知廉さんとは何度か声を交わしました。彼を見て最初思ったのは、大変にいい顔をした男だなということです。
 ただ、これからどこへ行こうとしているのか、作家としてどうしていこうかということがまだないのかな? というようなことをちょっと感じました。

 全然また別な関係で、私は偶然千葉刑務所の職員の方と飲む席で一緒になりました。彼が千葉刑務所の職員と判ったときに、私はそばへいきまして、いろいろと聞いていきました。連合赤軍の吉野さんのこと、それから千葉刑務所に長くいただろう、狭山事件の石川さんのことです。石川さんとは、その前にあるところで講演を聞いて、また飲む席で、この千葉刑務所での思い出を直接聞いて半年後くらいのところでした。
 そして、この見沢知廉さんのことも聞きました。私は見沢さんが、よくあのような獄中で小説を書けたものだと(お母さんが頑張ったようですが)、そのことを知りたかったのです。でもその職員は、あまりに私がいろいろなこと知っているので、面くらっていました。まあ、私は千葉刑務所も何度か、埼大の後輩の活動家の接見差入れに行っていますからね(千葉はなにしろ、三里塚闘争がありましたから)。

 いつかまた見沢さんとは、こうした席で会って、またゆっくり話してみたいなと思っていました。ただ、いつも、少し精神的に辛いようだという話が伝わってきていました。
 結局、親しく飲む機会も話す機会もないまま、今に至ってしまいました。ただただ、ものすごく残念です。もうとにかく、合掌します。さようなら。


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