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佐伯紅緒(文筆業) 転載元:佐伯紅緒blog


September 14, 2005 追悼。


とうとう本出すことに決めたから言っちゃうけど、先週自殺した私の小説の師匠というのは見沢知廉さんのことです。
あれは忘れもしない1999年の夏、会社帰りに何気なく立ち寄った古本屋で、ふと目にとまった彼の「囚人狂時代」(新潮社文庫)を手に取ったのが運の尽き。 読んだ瞬間になんだかピンとくるものを感じ、その週末、実家に帰った時に「お母さん、わたしこの人と友達になるからね」と言ってのけたのを覚えてます。 

それはまもなく現実のことになり、というのは、その翌月に新宿ロフトプラスワンで初めて見沢さんに会い、それから本当に怒涛の付き合いが始まってしまったからで、後で聞けば向こうも私をひと目見るなりピンとくるものがあったそうで、初めてのデートの時、彼は待ち合わせの新宿プリンスに真っ白なスーツ姿で現れ、私の度肝を抜いたのがまるで昨日のことのようです(笑)。 それからは地下の喫茶室で何時間も小説の話、思想の話、文学の話、etc。
それからの日々の記憶は、今度出す私の小説「悪童観察日記」の中にあますところなく反映されています。

当時、小説を書き始めたばかりの私が初めて私が見沢さんに原稿を見せた時、正直、彼はどうせそんなに大したことはないだろうと思っていたらしいのですが、しばらく私の原稿を手に絶句した後、やがてうめくようにひと言「きみ、ぜったいプロになれるぜ」。 あれはうれしかったなあ。
彼に弟子が何人いたかは私の知るところではありませんが、そのひと言がその後の私の人生を変えたのは言うまでもありません。

以来、6年の間にそれはもういろんなことがありましたが、それでも、見沢さんとの交流は決して途絶えることはなく、お互いに励ましあいながら今日まで連絡をとりあってまいりました。 
最後に話をしたのは一ヶ月前。 突然、見沢さんから電話がかかってきて、「あれ(悪童)どうなった? あれ読むと元気になるからオレんとこに送ってくれよ」。
わかった、じゃあ手直しして来月14日のイベントで渡すからね、という約束はとうとう果たされることはありませんでした。
見沢さんは私の原稿を見てくれるだけでなく、私を編集者に紹介したり、芥川賞授賞式に連れて行ったり(確か町田康さんの時です)、わざわざ自ら出版社へ推薦状まで書いてくれたりして、それはもうかつて活動家のリーダーだっただけあって面倒見がよかったのですが(笑)、怠惰な私は何かというと目先の楽しいことに流れ、ついつい彼の期待に応えることなく今日まで来てしまいました。

今、その師匠の死を知って、ハンマーで頭を殴られた思いです。

小説をやるからには血を吐く思いで死んだつもりになって書け。 享楽的な私はその見沢さんの言葉についひいてしまい、そんなにしゃっちょこばらなくても気楽に生きていけばいーじゃん、などと大してその言葉の意味を深く考えることもなかったのですが、今思えば正しかったのは明らかに彼の方。 たとえ彼のようにはなれなくても、いい加減にこの辺で覚悟を決めなくてはと思いました。

知名度も何もない私に壇上で挨拶をさせてくれ、小説の紹介までしてくれた一水会の鈴木邦男さん、本当にありがとう。
本が出たら記念イベントをやろうと言ってくれたロフトの加藤さん、ありがとう。
私はもう、恐れません。
何がどうなってもいい。 心のままに、精いっぱい、じぶんにできることをやっていきます。

September 26, 2005 彼岸明け。

更新さぼってました。

生きてるかー? というお便りを最近たくさん頂くのですが、ご心配おかけ致しました。 元気です。 そしてけっこう忙しく、今日やっと速読の講習が終わり、ようやく一息ついたところ(速読1分間52400字達成万歳!)。 K田先生、最高です。 今週末奄美に行くんですよぉ、と言ったら、アサギマダラが出そうなポイントを、あの森本レオそっくりのお声で丁寧に教えてくださいました(笑)。 

仕事もなにげに入ってきてます。 今は某サプリメント会社のコラムのお仕事、ラジオ出演、某誌連載のお仕事、あと本業の小説のほうも実録恋愛短編集&例の故・師匠の追悼小説の準備と、なんだかんだで忙しく。
今日は見沢知廉さんのお母様と久しぶりに電話でお話ししました。 あんなことがあったというのに、声がすごくしっかりしてたので正直言ってひと安心。 本当に気丈な方です。 見沢さんはもともとその存在自体が非日常的な人だったので、今回の彼の死もなかなかピンと来ないのです。 だから、「なんかまた本人から報告の電話かかってきそうですよね」などと、電話口で語る思い出話も故人にふさわしくピンぼけ気味。

でも本当、人間、一瞬先はなにが起こるかわからない。 だって、何もかも行き詰まっていたんならともかく、新刊の出版が目前に迫っていたのに、ふつう飛び降りたりなんかしないよね? 今回の件はまったくつむじ風にさらわれたようなもの。 彼が特別だったのではなく、きっと誰の身にも起こりうることだと思う。 だから、自分は一体そんな世界でどうやって生きていったらいいんだろう、と何日も何日も穴があくほど考えた末、やっぱり、今日という一日を大事に生きていくしかないんじゃないかと。

来年になったらあれを始めよう、もっと自分に実力がついたら、あれやこれやそれをしよう、なーんて悠長に構えていたら、きっと一生何もできないままで終わってしまうような気がする。 未完成のままでもいい、弾みをつけて、よけいなことなんか何も考えず、エイヤって世に飛び出していってしまっていいんだよ、妙なエンリョなんかしていたらいつまで経っても出られないぜ、師匠は臆病な私に向かっていつもそんな風に言っていた。 なんでもっと早く聞けなかったろう。 そういう意味でも今回のことは私にとってはショック療法。 自分がやりたいこと、できることは先延ばしになんかしてちゃいけない。 するべきことをフットワークよくこなし、そしてよけいな力を入れることなく、淡々と「作業」を続けている限り、必要なものはすべて天が絶妙のタイミングで与えてくれる、そうまっすぐに信じること。 結局、人生という河を渡っていくにはそれしかないような気がするのです。 
・・・てなことを、つれづれにいろいろと考えていたこのお彼岸。 
師匠よ、あなたは今どこで、何を思っているのですか?


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